<作曲・指揮> 手使海ユトロ(高20回)

今にして思えば、そもそも荒唐無稽な催事であった。数字的なこと、具体的な経緯などは事務方諸氏の記録にお任せするとして、演奏会の内情を随想。

「あとはヨロシク」……こんな一言で僕には託された。でも、実はそれは有難かった。何しろ無垢の状態だったから。それは同時に孤立無援も意味していた。
しかし、そこは筋金入りの「翠嵐魂」が、同じベクトルでの結集。案ずるよりは産むが易しであった。
曲想はプログラムでも申し述べた通とおり、翠嵐を巣立った大勢の人生を季節の移ろいに置き換えたもの……安易ではあるが分かり易いコンセプトであったと思う。最終章には2010年、『青春かながわ校歌祭』で作曲した「夢海路」を配した。極端に言えば、この曲は僕自身の「翠嵐魂」の象徴であり、この曲ありきの僕のコンニチであるから。

発掘してみれば、優秀な演奏家が意外とたくさん集結。吹奏楽部のOBOG諸氏も日常的に団体で活動して居り、定期演奏会とのダブルブッキングで付き合ってくれたのは本当に有難かった。

そして、在校生諸君。直接関わりが深かったのは吹奏楽部、弦楽部の諸君であった。4月に初めてバイオリンを触った……などという子に期待なんかする方が間違えている。それを見事に裏切ってくれた。勿論、初心者のソレではあったが、前向きな参加意欲、向上心、感服してしまい、少しハードルを上げたくらいであった。音楽は技量が全てではない……の見本であった。リハーサルの準備等の作業も黙々と俊敏に熟してくれたのは、我々が築いた伝統以上のものであった。そして翠和会のみなさん。3年生のお母様方は気が気で無かった筈である。でも、献身的なご協力を頂いた。とても有難かった。

勿論、難関もたくさんあった。病に倒れた者も居た。たくさんの困難を乗り越えられた原動力は、紛うことなくとびっきりの「翠嵐魂」であった。であるから、僕は常に楽観的でいられた。何があっても必ず何とかなる筈だったから。そして案の定全て乗り切った。

作品に関して、作曲家の恒常的な宿命として、満足はしていない。そもそも完成もしていない。完成形などないのだ。限られた状況で、演奏家諸氏は大いに健闘した。母校の100周年を寿ぐには十分の誠意は結集していた。そこでの満足は十分あった。言うまでもなく、オーディエンスは温かさそのものであった。そう言った意味ではラクだったかも知れない。

翠嵐は確かに知力・学力の高い高校かも知れない。でも、今回僕が実感したのはそんなことではなかった。考察力、状況判断能力、結束力、瞬発力、危機回避能力……様々な能力を夫々が発揮した。それらは潜在的能力ではなく、確かに翠嵐で培われた能力だと実感した。そして我々はみんな、「母校節目足跡残し能力」が顕著に高かった。

作品の音楽的な価値は僕には語れない。ただ、神奈川県立高校の「創立100周年記念演奏会」と呼ぶには、極めて質の高い、価値のある催事が出来たのではないかと総括している。

そして、この期に及んで、みんなでまた思い出を沢山手に入れることが出来た。

そして、何よりもメッチャメチャ楽すぃ?い時間であった。

あの、500名に余る先輩諸氏、同輩、後輩諸君にタクトダウンした瞬間の感動、眼の輝きは、今後の人生の滋養となって僕を支えてくれることであろう。

この演奏会は、演奏会実行委員長の馬場洋一君のあの尽力無くしてはあり得なかった。多くの方々は忘れているかも知れないが、彼がどれだけ足しげくホールに出向き、恐ろしい程の根気で会場との諸問題の溶解に奔走したのか、僕は絶対に忘れない。僭越ではあるが、全スタッフの全作業の代表として、馬場君、僕からありがとう。

最後になってしまったが、制作に当たり以下のお二方には、門外であるにも関わらず、内輪以上の誠意でご尽力を頂いたのでこの場を借りて深謝します。
アオイスタジオ:飯塚靖人氏、ヴァイオリニスト:星野沙織氏、本当に有り難うございました。

2014年11月佳日
音楽監督:手使海ユトロ(高20回/小笠原 寛)