高橋選手(33回)初の栄冠!第29回親睦ゴルフ大会を開催

第29回親睦ゴルフ大会

酷暑がようやく終わりを告げ、雲一つない見事な秋晴れにアキアカネ飛びかう10月12日、「千葉夷隅ゴルフクラブ」西~東コースで第29回大会が開催された。夏から秋にかけて大雨・水害に見舞われた千葉県、ゴルフ場へ向かう道路も一部通行止めや片側通行があり、その爪痕を目の当たりにした。今回はビジネスやプライベートの都合で出場辞退者が多く、10回から38回卒業の22名が覇を競った。

33回高橋誠

結果は、33回高橋誠が自称260ヤードドラコン獲得の飛距離と、ニアピン2ホールゲットの方向性、しかも「隠しホール」できちんとダブルパーを叩く巧みさで、コースメンバー32回横越のマクリをかわして逃げ切り、初の栄冠!釣果をたっぷりと懐に、先輩方からのブーイングは止むことがなかった…。

ドラコンのもう1ホールは流石の横越、ニアピンは出場選手最年長10回長崎と、紅一点38回吉田が見事獲得。

出場選手は以下の通り。10回:長崎/14回:杉山/16回:杉浦・城戸・二川・大谷/17回:五十嵐/23回:金子/25回:芝崎/29回:小嶋・栗木/30回:藤枝・金原/31回:鎗田/32回:横越(夫人もゲスト出場)・井川・北山/33回:高橋・鮫島・吉澤/38回:和気・吉田

次回、30回記念の春大会は千葉夷隅ゴルフクラブで4月18日(木)に開催することが決定。出場のご希望などは、野球部ページトップの「野球部OB会へのご連絡はこちら」からお願いします。

翠嵐野球部OB会

横浜翠嵐高校野球部のOBも600名を超える数となった。OB会の名簿では昭和10年卒業生(中学17回)より記録があり、昭和9年の第20回の全国高校野球選手権大会神奈川大会より、神二中での出場試合結果が記されている。

戦後の昭和27年第34回大会では初のベスト16になり、昭和36年の第43回大会では初のベスト8になった。その年は、高校14回の熊木正毅主将を中心に、高校15回の田中則夫投手、石井淳一捕手のバッテリーの活躍で横浜高校を2対0と倒しベスト8に進出し、次の武相高校と3対3の息詰まる熱戦を展開し延長12回にサヨナラ負けを喫しベスト4進出を逃した。当時の監督には高校11回の小川泰祐氏が采配された。

その後、昭和53年の第60回に大会ベスト16へ進出。愛甲猛擁する無敗の横浜高校(渡邊元就監督)が全国制覇した昭和55年春の市長杯では、県立高校である本校が2対1で勝利した。くじ運次第では上位進出もと思われていたその年の甲子園の夏の大会の予選、香椎瑞穂監督率いる日大藤沢に緒戦で惜敗したものの、「翠嵐、日藤に肉薄」「泣くな翠嵐」と各メディアは大きく報道した。

平成2年の第72回大会にベスト16へ、そして平成4年の第74回で2度目のベスト8に進出した。また、平成8年の第78回大会、平成9年の第79回大会と連続してベスト16に進出し、翠嵐のベスト16は近年野球部の夏の大会の目標となっている。

選手の父母会も非常に活発で、帽子やタオル、ウチワ等の応援グッズを工夫され、夏の応援席では生徒と共に激烈な応援がなされている。一方、夏のスタンドの名物であった応援部がかなり長い間結成されず今一つ寂しい思いが続いていたが、校歌祭に出演している応援部の指導で、久方ぶりに応援団が結成され、スタンドではひときわ声援が盛り上がり、野球部の選手諸君も励みになっている。

野球部OB会は20年程前に結成され、初代会長に中学17回の北陽平氏、高校2回の井上清栄氏、高校3回の宇佐美昭八氏、高校4回の菅沼正直氏、そして高校16回の杉浦武胤氏に引き継がれて現在に至っている。OB会は毎年6月の第一日曜日に総会を行い、生徒諸君への激励と共に毎年50万円以上の用具等の支援を行い、野球部の活動に支障のないよう応援を続けている。

また、平成21年より希望が丘、翠嵐、緑ヶ丘、平沼、立野の県立五校によるOB対抗戦(ツースリークラブ)が開催され、他校OBとの親睦も深めている。概ね50歳以上のOBが年一回秋にトーナメント戦を行っている。『翠嵐』の文字が入った現役時代とそっくりなユニフォームも新調し、優勝を目指している。

OB会の更なる発展の為にも仲間を誘い、いろいろな行事に参加していただきたい。